丸井織物の歴史

企業情報

丸井織物の歴史

History

戦前の日本で人絹と羽二重の生産がピークを迎えた1937年に丸井グループは誕生いたしました。産地の中では後発の新参者であり、創業から現在にいたるまで“チャレンジ精神”を合言葉に歩んでまいりました。常に、時代の最先端の技術に挑み、世界一の品質とコストを追求するモノづくりに努めてまいりました。
丸井グループはこれからもチャレンジを続け、“人間成長と豊かで健やかな人生”の理念を事業とともに広げていきます。

丸井織物のあゆみ

1937年2月
創業者宮本米吉が鹿島町(現中能登町)徳前に㈱宮米機業場を設立。フライシャトル織機30台で能登上布(麻布)と化繊(人絹)の生産を開始。
1956年4月
鹿島町(現中能登町)井田に丸井織物㈱を設立。フライシャトル織機32台で化繊(レーヨン)の生産を開始。織機メーカーの津田駒工業㈱で技術を学んだ三男三郎の入社にあたり、長男次良との兄弟間の対立を懸念し別会社組織とした。初代社長は実弟の宮本二郎が就任、産地ではじめて24時間操業体制を実施。
1960年
丸井織物がフライシャトル織機を45台に増設し、化繊からナイロン織物の衣料資材、傘地へ商品転換。
1961年
宮米織物株式会社に社名変更。宮米織物もポリエステル織物の生産を開始し、化繊から合繊へシフト。
1966年
丸井織物が主要取引先を一村産業株式会社から蝶理株式会社に変更。産元商社での序列に嫌気し活路を開く。蝶理との取引は品質が最優先され、実力勝負で生産技術力を磨く。
1968年
丸井織物がサイジング事業を内製化。前年に富山県で試験導入されたウォータジェットルームの自社試験を開始。
1969年
丸井織物が革新ウォータージェットルームを60台設置し、裏地向けナイロンタフタを生産。従来の5倍の生産能力を持つ革新織機導入で生産競争力が飛躍的に向上。
1970年
丸井織物が鹿島町久乃木地区に工場移転。本格的な準備センターを建設し、傘下工場は60社超える。
1973年
第一次オイルショック、戦後初の実質マイナス成長と景気が悪化し傘下工場が相次ぎ離脱。
省エネ型ウォータージェットルームを開発し、不況下であったが革新織機に積極投資。
1976年
ポリエステル長繊維に原糸メーカー5社が参入し過当競争化。丸井織物は東レ株式会社のポリエステル事業拡大方針に応じ、裏地向けポリエステルタフタで設備投資を実施。
1977年
宮米織物の2代目社長に長男宮本次良が就任。
1981年
アメリカのテキスタイルメーカーミリケン社を視察し、技術開発を重視する姿勢にショックを受ける。帰国後、商品開発室を設置しナイロン用高速織機の開発を開始。
1985年
宮米織物3代目社長に宮本賢二が就任。日産自動車で生産管理を学んだ現社長の宮本徹が入社。QCサークルを導入し小集団による現場改善をスタート。
1986年
アメリカのテキスタイルメーカー視察に刺激を受け、織機LANシステムを導入し工場管理の近代化に着手。
1987年
東レ株式会社のスタナー(特殊ナイロン糸織物)がスキー市場の拡大に伴い大増産。スポーツ用途の商品開発を行い、スポーツを主とした表地へ商品転換。
1989年
東レ株式会社の要請に応じタイのラッキーテックス社への技術支援を開始、タイ人研修生を受け入れ教育。
1991年
全社的体質改善活動TPM(全員参加の生産保全)をキックオフ。他業種の先進工場の視察を繰り返し、丸井式生産方式の構築に取り組む。
1992年
丸井織物2代目社長に三男宮本三郎が就任。
マネジメントシステムとして方針管理制度を導入。
1994年
バブル崩壊の最中、日本最大の自動化準備工場が操業開始。人と自動化設備が共存した「夢工場」構想が、同時期に全社展開したTPM活動とともに評価されPM賞を受賞。
1998年
エアバック織布工場が操業開始。重要安全保安部品エアバックに対応した品質保証体制を整備。
1999年
丸井織物3代目社長に宮本次良の長男徹が就任、2001年より宮米織物3代目社長も兼任。
2002年
ストレッチ織物の生産を想定し230cm幅のエアージェットルームを開発。販売の主流であったタフタから付加価値の高い商品への転換を狙う。
2005年
丸井織物(南通)有限公司が操業開始。中国市場に向けて東レ中国子会社TSDと連携し事業を展開。
2006年
スポーツ素材創造企業宣言を発信し、委託事業を提案型に高度化。5万点の生地サンプルをアーカイブに持つテキスタイルスタジオ、東京営業所及び大阪営業所を開設。
2008年
炭素繊維事業に進出。土木橋梁用補強材、スポーツ用品、自動車用部品などの炭素繊維織物の生産を開始。
2009年
東レ株式会社と共同開発した軽量高密度ダウン用生地の量産が拡大。
2012年
中期経営計画「変革100」にて売上高目標100億円(開始時56億円)とし、委託からミルコンバーターへの転換を目指す。提案委託と自販へのシフトが加速。
2013年
良川サイジング株式会社を子会社化。同敷地内に染工房D-スタジオを開設し、開発スピードと商品開発力が向上。
2014年
精練機を導入し、ポリ乳酸製ティ―バック用基布の一貫生産を開始。
2015年
中期経営計画「革新200」にて売上高目標200億円(開始時110億円)とし、「モノづくりとITの融合」を目指す。ネット事業部を設置しIT事業に参入。
2016年
自社テキスタイルブランド「NOTO QUALITY」を商標登録。東京営業所を原宿に移転し、新興アパレル・企画会社と連携した新商流の創造に着手。
2017年
石川県金沢市の染色会社倉庫精練株式会社を子会社化し、織染一貫のテキスタイルグループとなる。東京営業所、大阪営業所の2社統合。
2018年現在
倉庫精練敷地内に丸井織物の金沢営業所を開設。オリジナル商品制作サービスのIT企業であるオリジナルラボ株式会社を子会社化。